私ども敬愛(けいあい)セレモニーは、皆様に「けいあいさん」と呼んでいただいていますので、ここからは「敬愛」と自称させていただきます。 お葬式の終わる頃、「葬儀屋さんって、こんな事までしてくれるの!いつ寝て、いつ食べているんだい?」と言われる事があります。そう思っていただけるだけでも嬉しいです。そして、どなたかの「葬儀屋さんはみんな同じじゃないよ、○○さんも敬愛さんでしてもらえばよかった・・・」というお声を聞くと飛び上がるほど嬉しい反面、切なくもなります。なぜなら、○○さんのお葬式はやり直してあげられないからです。言葉にはできませんが、心の中で「ごめんなさい・・・」
私どものお葬式に対する想いを少しずつお伝えしてまいります。お時間がゆるせばお付き合いください。
今回は社員の常田です。(誤字、脱字、乱文お許しください。) 常田と申します。よろしくお願いします。 いきなり「葬儀に対する想いを書け!」と言われました。僭越ながら頑張ります。といってもまだまだ未熟な半人前(経験20年を超える社長ですら自らを修行中と言っています。)の私なので、半人前なりの想いと敬愛で教わった事を書かせていただきます。
うちの会社は(社長は)少々変わっています。商売と考えれば下手かもしれません。見積もりや司会を教えて欲しいと言ってもなかなか教えてくれません。マニュアルを作って欲しいと言っても渡されるのは要点をまとめただけなのに数十枚の紙の束。各項目には「状況に応じて臨機応変に、ご遺族の気持ちを大切に」と書かれていて、マニュアルじゃない。私は、マニュアルで社員を早く一人前に教育すれば会社にとっても利益になると考えていました。でも、ダメなんですね。それでは敬愛がめざす葬儀社には成れないのです。大きな勘違いでした。
社長の口癖に「2つとして同じ葬儀は無い、葬儀にやり直しは無い。」というのがあります。また、「マニュアルを作れというならお手伝いした葬儀の数だけ作る。」とも言います。あたりまえの様ですが、とても大切な核心でもあります。言い換えれば、「お1人お1人の亡くなった方のために、1回1回その方のためだけに、そしてそのご遺族のためだけのオーダーメイドでなければならない。」という事です。
敬愛では、誰が打ち合わせに伺っても最初にご遺体のもとに行きます。なかには「まず打ち合わせを・・・」とご遺体と別の部屋に案内される事もありますが「申し訳ございません。まずは故人様にお参りさせてください。」とお願いしてご遺体のもとに行き手を合わせます。この時小さな声で、「只今よりあなた様のご葬儀のお打ち合わせをさせていただく敬愛セレモニーの○○といいます。精一杯努めさせていただきますのでよろしくお願いいたします。」と言います。あげくには、ドライアイスを置く時に「冷たいね、重たいね、ごめんなさい・・・」、合掌をした手やお口が開かないようにとめた包帯やバンド(専用のもの)を取る時も、手首やお顔をさすりながら「きゅうくつでしたね、痛くなかったですか?もう大丈夫ですよ」と故人様に何かするたびに小声で話しかけているのです。最初「亡くなった人と会話ができるのか?」と驚きました。そのくらい自然に必ずしている事なのです。
打ち合わせでも、段取りや手配その他は担当者の提案ですが、常にご遺族のペースです。1つ1つの選択も決め方も、声の大きさや話すスピード、すべてご遺族に合わせます。ですから要する時間も1時間程で済む事もあれば4時間以上かかることもしばしばです。中でも「生前の故人様の事、ご遺族が故人様をどのように送ってあげたいかのイメージ、そして葬儀をどの様に考えておられるか」をまずできるだけ多く教えていただく事に時間を割きます。その間、決して押し付けることなく、時にはご遺族が目を閉じて故人様を思い出していることもありますけれど、それらは敬愛のご提案するお葬式にとって、とても大切なことなのです。
まだ私は言葉でうまく表現できませんが、以上のようなことを通して大きな勘違いに気付いただけでなく、不謹慎と思われそうですが「葬儀」という仕事が好きになりました。
これも社長の口癖ですが「お葬式はご遺族にとって起きて欲しくない日常の中の『非日常』だ。それをしっかりと受け止め、あるべき日常に戻るお手伝いが俺たちの仕事の最終目的だ。」なるほどお葬式を通して失意の底にあるご遺族に笑顔を取り戻すお手伝い。と思えば、この仕事が好きというのもおかしくないと思えるようになってきた常田です。
私を見かけたら声をかけてください。葬儀のお手伝いをさせていただいたご遺族様や、ご会葬にみえられた方々から「ヤァ!名前なんだっけ?頑張ってるかい!」と声を掛けていただけるとすごく嬉しいです。ただ、私は目が悪いので気付かない事があります。「すましている訳じゃないです。ごめんなさい。」
追伸:地元の消防団に入って頑張っています。 2007年1月
私ども敬愛(けいあい)セレモニーは、皆様に「けいあいさん」と呼んでいただいていますので、ここからは「敬愛」と自称させていただきます。
お葬式の終わる頃、「葬儀屋さんって、こんな事までしてくれるの!いつ寝て、いつ食べているんだい?」と言われる事があります。そう思っていただけるだけでも嬉しいです。そして、どなたかの「葬儀屋さんはみんな同じじゃないよ、○○さんも敬愛さんでしてもらえばよかった・・・」というお声を聞くと飛び上がるほど嬉しい反面、切なくもなります。なぜなら、○○さんのお葬式はやり直してあげられないからです。言葉にはできませんが、心の中で「ごめんなさい・・・」
私どものお葬式に対する想いを少しずつお伝えしてまいります。お時間がゆるせばお付き合いください。
今回は社員の常田です。(誤字、脱字、乱文お許しください。)
常田と申します。よろしくお願いします。
いきなり「葬儀に対する想いを書け!」と言われました。僭越ながら頑張ります。といってもまだまだ未熟な半人前(経験20年を超える社長ですら自らを修行中と言っています。)の私なので、半人前なりの想いと敬愛で教わった事を書かせていただきます。
うちの会社は(社長は)少々変わっています。商売と考えれば下手かもしれません。見積もりや司会を教えて欲しいと言ってもなかなか教えてくれません。マニュアルを作って欲しいと言っても渡されるのは要点をまとめただけなのに数十枚の紙の束。各項目には「状況に応じて臨機応変に、ご遺族の気持ちを大切に」と書かれていて、マニュアルじゃない。私は、マニュアルで社員を早く一人前に教育すれば会社にとっても利益になると考えていました。でも、ダメなんですね。それでは敬愛がめざす葬儀社には成れないのです。大きな勘違いでした。
社長の口癖に「2つとして同じ葬儀は無い、葬儀にやり直しは無い。」というのがあります。また、「マニュアルを作れというならお手伝いした葬儀の数だけ作る。」とも言います。あたりまえの様ですが、とても大切な核心でもあります。言い換えれば、「お1人お1人の亡くなった方のために、1回1回その方のためだけに、そしてそのご遺族のためだけのオーダーメイドでなければならない。」という事です。
敬愛では、誰が打ち合わせに伺っても最初にご遺体のもとに行きます。なかには「まず打ち合わせを・・・」とご遺体と別の部屋に案内される事もありますが「申し訳ございません。まずは故人様にお参りさせてください。」とお願いしてご遺体のもとに行き手を合わせます。この時小さな声で、「只今よりあなた様のご葬儀のお打ち合わせをさせていただく敬愛セレモニーの○○といいます。精一杯努めさせていただきますのでよろしくお願いいたします。」と言います。あげくには、ドライアイスを置く時に「冷たいね、重たいね、ごめんなさい・・・」、合掌をした手やお口が開かないようにとめた包帯やバンド(専用のもの)を取る時も、手首やお顔をさすりながら「きゅうくつでしたね、痛くなかったですか?もう大丈夫ですよ」と故人様に何かするたびに小声で話しかけているのです。最初「亡くなった人と会話ができるのか?」と驚きました。そのくらい自然に必ずしている事なのです。
打ち合わせでも、段取りや手配その他は担当者の提案ですが、常にご遺族のペースです。1つ1つの選択も決め方も、声の大きさや話すスピード、すべてご遺族に合わせます。ですから要する時間も1時間程で済む事もあれば4時間以上かかることもしばしばです。中でも「生前の故人様の事、ご遺族が故人様をどのように送ってあげたいかのイメージ、そして葬儀をどの様に考えておられるか」をまずできるだけ多く教えていただく事に時間を割きます。その間、決して押し付けることなく、時にはご遺族が目を閉じて故人様を思い出していることもありますけれど、それらは敬愛のご提案するお葬式にとって、とても大切なことなのです。
まだ私は言葉でうまく表現できませんが、以上のようなことを通して大きな勘違いに気付いただけでなく、不謹慎と思われそうですが「葬儀」という仕事が好きになりました。
これも社長の口癖ですが「お葬式はご遺族にとって起きて欲しくない日常の中の『非日常』だ。それをしっかりと受け止め、あるべき日常に戻るお手伝いが俺たちの仕事の最終目的だ。」なるほどお葬式を通して失意の底にあるご遺族に笑顔を取り戻すお手伝い。と思えば、この仕事が好きというのもおかしくないと思えるようになってきた常田です。
私を見かけたら声をかけてください。葬儀のお手伝いをさせていただいたご遺族様や、ご会葬にみえられた方々から「ヤァ!名前なんだっけ?頑張ってるかい!」と声を掛けていただけるとすごく嬉しいです。ただ、私は目が悪いので気付かない事があります。「すましている訳じゃないです。ごめんなさい。」
追伸:地元の消防団に入って頑張っています。
2007年1月